老いた家 衰えぬ街

「実家の空き家問題」は団塊ジュニアである私たちのすぐ隣に潜んでいる。うちの両親なんかは持ち家信仰が根深い。自身にも「家を持って一人前」みたいな意識があったし、家があったら少なくとも老後住むところに困らないと思っているらしい。子ども世代に対しても「家は持たないのか」ときいてくる。そのくせ、そのうち子どもたちは実家に帰ってきて、この家に住んでくれると思っている。そんな団塊世代は少なくないと思う。そうでなければ昭和40年代前半から50年代にかけて、全国であれほどのニュータウン開発はなかっただろうし、そのニュータウンがまるで虫食いのように空き家となっているはずがないからだ。

そう、ニュータウンは今やあちこちが空き家となり、オールドな人たちばかりのまちになってしまっている。私の実家もそうだ。私は岡山市の出身で、開拓地を住宅地化したニュータウンで育った。親が家を建てたときはまだ造成後すぐで、4歳で引っ越したが、小学校入学あたりから区画が埋まってきていた。岡山市内でも比較的早い時期にできたニュータウンらしく、子どもの数も多く、小学校は私の在学中にもどんどん拡張され、団地の公園はたくさんの子どもが遊んでいた。それが今では団地内に子どもの姿はほぼなく、空き家もちらほら。うちの実家もそうだけど老人だけの世帯も増えた。あともう10年もすれば空き家だらけの団地になるのではないか、と思う

この「10年もすれば空き家」問題がじつは大問題。私自身の問題でもある。それが「この実家、相続したらどうするの?」問題だ。そんな大問題を論じ、ひとつの解決策を提案してくれているのがこの『老いた家 衰えぬ街』である。

著者は都市計画やまちづくりが専門の研究者。この本はまず「なぜ実家が空き家になるのか」について解説する。そして誰も相続しない、つまり相続放棄という手段とその問題点、相続放棄しても空き家の管理からは逃れられない(!)という厳しい現実に言及。空き家問題に悩む世界の国の現状を紹介したあと、日本国内で空き家問題に挑んでいる自治体や民間事業者の取り組みを紹介している。そして私たちができる空き家対策、大げさでなく、小さいけれど確実な一歩を勧めている。それは「住まいのエンディングノートを書く」ということ。この本は新書なのに、なんと書き込み式の「住まいの終活ノート」が付録としてついている。

正直なところ、空き家問題は個人だけでなんとかできる問題ではないと思う。税金の問題もあるし、まちづくりは自治体の支援も必要だ。でも共助も公助も自助の先にしかない。まずはできることをする。そのできることは親と一緒に思い出を語り合いながら、いざという時のために実家の基本的な情報をまとめるためにも「住まいの終活ノート」を書いてみる。これに尽きるのではないだろうか。

親が家持ち。親とは離れて暮らしている。自分も家持ち。このどれかに当てはまったら、読んでおいたほうがいいと思うよ。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

前の記事

ひとりでしにたい